大兄沢・小兄沢(阿仁)

=真澄記=

昔、阿仁地方には高倉長者がおった。阿仁の名は、この家から出た名であると。 

                    

長者には一人の娘がいた。この娘が婿をとったので、村民は兄殿と言った。 ある日高倉長者に男子が誕生した。

これも正嫡なので兄殿と言った。皆は、二人兄殿で区別が無いので、婿を大兄実子を小兄と言った。 


後に、この兄弟は争って「我は正嫡の子なので家督である。」と言い、「我は長年勤めた年長なれば家督である。」と言い、互いに譲らない。 

長者は仕方がないので、家禄財産を二つに分けて(トウ)を立て、兄弟運に任すことにした。 


「我には私なし。分家の(トウ)に当たる者は分家すべし。本家の(トウ)に当たる者は本家の相続相違あるまじ」ととらせた。

これにより、婿は分家の(トウ)に落ちた。 これにて、婿が家を建てた沢を「大兄が沢」(阿仁が沢)、実子が居た所を「小兄が沢」(小阿仁が沢)と言った。 


また、その昔は大兄が沢を「米が沢」、小兄が沢を「釜が沢」とも言ったそうだ。


真澄が描いた森吉山

森吉山