院内銀山物語(雄勝)

=真澄記=

院内銀山のいにしえとは、ある人は言う。 

石田三成のいくさ破れし頃、兵があまた打ち死にした中に、伊勢の国の林次郎左衛門、みちのく会津に渡邉勝左衛門、この国の石山傳助の三人が命からがら小野の里の石山のゆかりを尋ねて落ちてきて、砂金を掘る口実で山に隠れ住んでいた。 


ある時、村山宗兵衛と言う人の夢に、「長倉山を越えて谷深くたづねよ」との神のお告げがあった。 

宗兵衛は微塵も疑うこともせず、かの三人にも相談し、訪ねに訪ね、堀りに掘った。 


慶長十年に開けたのは銀の山だった。 

大床・小床、と火吹き、灰吹き、石打ち砕きしろかねとなるかな槌の音、谷に応え、山に響いた。 

板に沙(すな)を乗せてゆり流す。女どもは「ざるあけ歌」と言って、砂をざるに入れて水面に上げながら歌った。 

銀を掘る穴を「しき」と言う。どれだけ遠くに続いているか暗くてわからない。流れ出る水は清く流れている。 


「あさつゆを はらへば袖に玉とちる 光ことなる白銀の山」 

鉱夫のお墓

坑道「早房坑」 

鉱山から流れ出る川

院内銀山神社

今は静かな院内