太平山俗説<寺内が渓>(太平)

=真澄記=

昔この山には三吉という鬼神がいたそうだ。

土地の者は山鬼神(さんきじん)と言って、たいそう恐れていた。


樹神(こだま)、魑魅(やまびこ)や天狗、大人、山人などともうわさされたが、本当に三吉はいるものやら。

太平山に分け入ると、寺内が渓という渓谷がある。 昔、寺内の村に平助とその母が暮らしていた。

母はさして年老いてはいなかったが、何につけ勝手な振る舞いが多く、村人は鬼婆とあだ名していた。 

この母が急に「わしは太平山に登り、三吉の嬬になる。」と言い出し、旅仕度もしないで、隣の家に茶でも飲みに行くように家を出て、それきり三四日も行方知れずとなってしまった。 

              

村の者は、「平助の母は太平山の三吉の嬬になった。」「もう身を変えて、角をかざし髪を振り乱して谷や岩を鳥のように飛んでいる。」「あさましい女だ。身の毛もよだつ恐ろしい女だ。」などと口々に言う。


平助も不安で不安でしょうがない。しばらく泣いていたが、「たとえ山鬼神の妻となり、鬼となれども我が母親。この命を投げ出しても太平山へ登り、尋ねてみよう。」と思い立った。

「一人ではおぼつかない。」と村衆7、8人が米・鍋などを背負って平助に従った。       

               

昼は昼でめぐり歩き、夜は夜で松明を振り、金つづみを打ち・ほら貝を吹いて尋ねたが見つからない。

深くに女人堂を根城に探すこととし、人々は食事の仕度をはじめた。

平助は「山菜が生えている所を知っている、採ってくる。」と行ったきり帰らない。

「三吉に誘われて、母子で鬼になったのか。」と噂し、待ったが帰ってこない。村衆「これはおかしい」と声を枯らして尋ねめぐった。


谷深く、平助は茶畩が渓という谷に落ちて死んでいた。

「これはいかん。」と村衆は麓に戻り板戸を持ってきて骸を谷から上げ寺内に戻った。       


葬儀も終えて、37日目のこと、かの母が戻ってきた。母は息子の嫁が欲しいと出羽の羽黒山参りをしてきた帰りだった。

このことを聞いて血の涙を流して、「普段の自分の行いが、あたら鬼の噂となり、息子を殺してしまった。なんと愚かな自分だったことか。」と泣き悲しんだ。       

その後、平助が落ちて死んだ沢を「寺内が渓」と呼ぶようになったと言う。   

真澄が書いた女人堂

現在の女人堂

真澄の道の地蔵



道しるべの地蔵


真澄:おろちの峰

おろちの峰(頂上からの展望)