大葛物語(比内)

=真澄記=

<萬會物語>

遠い昔、浅利なにがしがここを治めていた頃から山口という抗主が金掘りを集めてこの大葛山を掘っている。 


昔、萬會という金堀りがいた。抗主に従って抗穴に入ってタガネを打った。 

抗主はその日一緒に抗に入った。良い金脈にあたり、萬會は掘りに掘って、ついに虎の牙ほどの黄金が天井から出て光っている。 


抗主は竹火の傍で寝入っている。萬會はこれを懐に入れて逃げようと思った。 

萬會はその金塊を打ち落とした。それは毬ほどの大きさで、落ちてころころと転がり、抗主にぶつかった。抗主は目を覚まして、金塊を見て驚き、萬會を見て驚いた。 

まさに萬會に殺されると思いその金塊を抱いて走りに走って抗口を抜け、家に逃げ帰った。 

抗主はその後たいそう栄えたと言う。 

萬會は残った金を掘って、人知れず抗を出てどこかに消えたと言う。 


いつの頃からか、黄金の露の恵みを求めて、人々がここに住んだという。

 

<鉱夫の話>

どこの山でもかな掘りになると、烟(けむり)という病(よろけ・塵肺病)にかかり、寿命も短く、四十まで生きるものはまれである。 

国の風習をして、四十二に厄年を祝うことは、富める者も貧しい者も等しくするだけであるが、かな堀りの家では、男が三十二歳になると、四十二の年祝いの気持ちで年賀をすると言う。 

そのようであるから、女は誰でも若いうちに夫を死別し、老いるまでには七人・八人の夫を持つものが多いという。 


大葛金山墓跡

今も心を休める大葛温泉



<市之丈物語>

なか昔、市之丈という鉱夫がいた。 

女のもとへ通い、小紫という遊女をかどわかして連れてきたがその両人ともここで死んだ。 

時の人が唄って言うことには、 「しらぬ山路を市之丈と連れて、今は大葛の土となる」 


この唄は、ところどころの鉱山で、ざるあげ唄、石からみぶし等に今も唄う一説である。


<嘉左衛門と清七の話>

大葛山を出ると、路の傍らに朝草を刈る男がいる。彼がつぶやくように言った。 

「六年前の(陰暦)六月、盛りの男二人が一時に命を捨てた。」「いかにしたか」と問えば、、、、、、 


この二股村に嘉左衛門という男がいた。家は貧しくはなかったが、新しく開墾した畑があった。 

同じ村に清七というねちけ人がいた。男は糸煮窯(いとにがま)と言って麻を蒸して剥ぐ釜をこの新田に作って据えようと、村人を集めて掘りに掘った。 

畑の主の嘉左衛門が怒って、脇差を懐の忍ばせて、「いかに清七よ。私が力を尽くして開墾したこの畑を、自分の私欲のために掘り散らかすとはなんだ。少しでも前に私に教えてでもくれたら許したものを。憎いやつだ。」と言えば、清七も「この事は以前から話してある。その場にいないお前が悪い。」とあざ笑う。 


「私は公儀に申し出て許しをもらい、荒れ山の木を切り、根を掘り、安からず力を賭して畑をしたものだ。己の勝手にするとは、許さん。」と、清七は「許さんとはどうするのだ!」となおあざ笑う。 嘉左衛門はゆっくりと脇差を抜いて、一打ちに斬った。


「人殺し!」と逃げ惑う村人の中に、心確かな者がいて、鋤を振り上げて嘉左衛門の刀を打ち落とし、石にすりつけて折り曲げ投げ捨てた。 

「嘉左衛門よ許さん。」と鋤を振り上げて追う。追われる嘉左衛門は我が家に飛び入って火を割るほどの太刀を振りかざし、髪振り乱して踊りでた。その様の恐ろしさに皆逃げ出した。


嘉左衛門が清七を斬った畑に来て、「胸を刺し貫く」「腹をかき切ろう」とためらっていると、弟の冨之助という者が馳せてきてしばし止めようとした。 

嘉左衛門はうち笑って、「人を斬っていかに生き延びようか、さあ、私の首をはねろ。」と言う。冨之助は「いかに兄の首をはねられようか、恐ろしい罪だ。」と言う。 

嘉左衛門は「今私の言うことをきかなければ、人が沢山来て、それらにからめられてどんな責めに合うかわからない。私を思うなら、さあ、首をはねろ。」と言う。 


その時、「まあ、待て」と老いたる親二人が妻子を伴って現れた。彼らを草の上に並ばせ、酒二斗を持って勧めた。 

まず、親に「親より先立つ罪を許してください。」と参らせた。 

次に弟に向かって「私はこうなったので、親をよろしく頼む。」と言った。 

妻子に向かっては「今、別れの時だ。私がいなくなった後は親に孝を尽くせ。仲良く暮らせ。」と涙を流した。 


嘉左衛門は清七の屍骸を肴に、竹筒を盃として飲みに飲んだ。樽ももう空になろうとした時、「冨之助、太刀をとれ。」と言い、快さげに打たれた。 

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「あわれ、はかない命を露を散らせた者は、共に40に近かった。この草の露と消えたのだ。」と涙をはらはらと流して刈草を集めていた。 

哀れ、いさましの物語だ。 


大葛金山跡

大葛金山精錬所跡