宇多帝御製(松峰神社)

=真澄記=
この山は、空海が開き給うた。 
嵯峨の帝の御時、弘仁八年に、両部金台の御仏、南無阿弥陀仏、観音の仏像を鋳させ、真澄の鏡と共に、御宝として祀った。 

弘仁十三年の春、左大臣誠公卿が森吉山へ登ろうとしたが、雪が今だ深かったため、この松峰に登った。 
堂を建て、宝物を多数寄贈したと言う。 

文徳天皇の天安のはじめ、三月のこと、大きな地震があって、堂舎も壊れ、山も崩れて、御仏も谷に埋もれて三十年の時が過ぎた。 
宇多天皇の御代、寛平三年に詔があり、菅原道真の手による「月山大権現」と言う額が書かれ、月山の神を祀り、御製ということで、 
「いやましの光も時に埋もれしあらはれ照らせ松峰の月」 
と詠まれた。この使いは、出羽郡司小野良寛の子、四品良房であった。 
松峰の月の光も日に増して、年に栄えたと言う。 
同じ年、小野良寛の手によって、再びお堂を作り、これを移したそうだ。