三輪神社縁起(雄勝)

=真澄記=

口碑によると、養老2年に僧行基地が杉本坊を開創し、その後八世紀頃、雄勝城に勤務した将士が大和の三輪の大神を勧請して創建したと言われている。 
その後平泉の藤原氏、鎌倉時代の小野寺氏、江戸時代の佐竹氏等の厚い保護を得、三度にわたる大火に遭いながら再建・修理・神領・宝物などを受け、現在は国の重要文化財、またそれに匹敵する宝物なども現存する神社で、鐘楼もその中の一つである。。 

現在の鐘楼は、元禄六年、藩主義処公の建立したもので、その均整のとれた風姿は、他にみられない優秀な建物と言われている。
しかし、大久保村の佐藤七右エ門を中心に再鋳したと言われる梵鐘は、第二次大戦で没収され、鐘楼だけが町の文化財に指定されているが、傷みが激しく雨漏りするなど看過するに偲びず平成九年に補修を行った。
(三輪神社境内立て札より)

三輪神社 

三輪神社本堂

三輪神社鐘楼