正平寺(平鹿)

=真澄記= 

この寺に秘仏の十一面観音がある。紫銅の鋳仏だ。 

丈は六寸七分、仏形の背中の法衣の裾に、「清衛守」と三字を彫っている。 

これは、おそらく、、 

前九年の合戦の後、源頼義の臣、清原武則真人に、亘理権太夫経清がその妻(安陪貞任の妹)を、二歳の男児を連れて、妾に差し出した。 

この男児、やがて成長して寛治の戦いの時、義家将軍に召された。この人が藤原清衛である。 


清原武則にも二児があった。武衛、家衛と言う。 

武衛は山本郡金沢の柵にあり、家衛は平鹿郡沼柵(ぬまだて)に住んだ。 

清衛も、もとは増田の武則のもとにいたが、この念持仏もここに残ったのではないか。 


銘に「八幡太郎義家将軍ノ御鏃」とある 

この鏃工は平安城光永の作と言われている。光永は義家将軍の軍中にあって名だたる鏃工であったそうだ。