真人山物語<銭かけ桜>(増田)

=真澄記=

平鹿郡平鹿村の真人山陰、鍋澤というところの清水の奥にあって、銭掛(かけ)桜、または三貫桜とも言われている。 


昔、九郎判官源義経一行が山伏に身をやつして、家来を引き連れて陸奥へ下る途中、ここで休んでいた。 

山路にきれいな桜が咲いている。皆この桜を見て、しばし笈(おい)を置いて休息しながら見ていた。 

「めずらしい花だ。」と義経が欲しがったので、気の早い武蔵坊弁慶が花のところへ行って、大きな桜の枝を折ってきて、「さあ、旅のなぐさめに見たまえ」と言って、金剛杖をついて出立しようとした。


そのとき、桜の二股の古枝を杖として、年のころ八十歳ばかりの翁がよろよろと出てきた。 

「いかに客僧たちよ。主のある桜をおのれの心のままに折って盗むのか。(この桜は)わが命と朝夕眺めてきたものだ。」と涙をはらはらとこぼし、二股の杖をふって泣いた。 


居並ぶ一行は、その二股の杖で打たれるよりも身にしみて「戻すすべがない」と詫びたが、老人は耳にも聞き入れず、「さらば弁償せよ。」と言い放った。 


笈の中から白銀の銭一貫文を取り出して与えると、見向きもしないで「きたない花盗人よ!」とあざ笑った。 また更に白銀の銭一貫文を与えると、「からからと笑って」相手にしない。 


この償いではいけないと悟った弁慶は、更に一貫文を取り出して「貧しい山伏です。これでお許しください。」と心から詫びた。 

翁は「許そう。」と言って、三貫の白銀と折った桜を弱肩にかついで去って行った。 


一行は「老人の家はこの山陰であろうか。」と高い丘によじ登って見渡してみると、老人の持ち去った三貫の白銀も、二股の桜の杖も、その桜の高枝にかけられていた。 

されば、人々は「翁はこの桜の神に違いない」と恐れながら陸奥へ向かったという。 


この話から、銭掛(かけ)桜とも、三貫桜ともという名となったと伝えられている。 

真澄:真人山

真人山と皆瀬川

鍋澤の清水