八郎太郎伝説Ⅳ<手名槌・芦名槌> (男鹿)

=真澄記=

大昔、十和田湖の主であった八郎太郎は、南祖坊の法力に敗れた。   

その後、七倉山(二ツ井町)に逃げ込んだ八郎太郎は地元の神々の奇計に追われ、流れついたのが、この天瀬川の地でした。 

男鹿がまだ島であった頃の話です。   


八郎太郎は、天瀬川である老人夫婦の世話になっていたが、本土と男鹿をつないで巨大な湖を作りこの地を安住の地にしようと考えた。 


神の許しを得た八郎太郎は、世話になった老夫婦に「鶏の鳴く夜明けを合図に大地震が起きて大洪水になる」と告げ、立ち退くように言っておきいた。 


その当日、老夫婦は立ち退きをしようとした。 

しかし、老婆は忘れ物の麻糸を取りに戻ったところ、鶏が鳴き大地震が起きてしまった。   

八郎太郎は老婆をとっさに足で蹴り上げて助けようとしたが、 老婆は対岸の芦崎(八竜町)に飛ばされ、老翁は天瀬川にとどまって別れ別れになってしまったそうだ。 


以来、八郎太郎は八郎潟の主となり、老翁はこの地で夫殿権現(脚名鎚)になり、老婆は芦崎の地で姥御前(手名鎚)として祀られた。   

そして、天瀬川と芦崎の人々は、鶏を忌み、鶏を飼うことも、鶏肉・鶏卵を食することもなかったという。