安倍の館

=真澄記=

昔、和賀郡、江刺郡で境界争いが久しく続いたことがあった。 
そのころ、白い狐が和幣をくわえて駒が岳に去っていった。これは稲荷の神が、その条理を教えなさったものであろうと、争っていた者も仲直りして、おそれ多いと語りあい、相去と鬼柳(北上市)の辺まで分水嶺を検討して、境界には二股の木を植えたり、あるいは炭を埋めた。これを炭塚という。 
それでその川を稲荷の渡、あるいは飯形瀬といっていたが、今はいなせの渡という。 
また西行上人の歌に「みちのくの和賀と江刺のさかひこそ川にはいなせ山にまた森」というのがある。