太平山の開闢

=真澄記= 
この山は、平城天皇の「あめのしたしろしめし大同のとし神」を山頂に鎮座していたが、五十年ばかりは、きこり・山賊も絶えて通わず、木々が生い茂ってしまって、登る人もなかった。 

しかし、清和天皇の御代貞観の年、道を蛇野から推古山にかかって、天盾山の東の麓を通って、吹切野を経て木曾石の奥から前嶽に登ってこの大峰に辿る日が開けた。 

さらに、八田の村から二布(にぶ)の澤を経て、木曾石を通って前岳を伝って峰入りする道が開けた。 
その後、鉄玄法師が、山谷や麓をやすやすと踏みしめて登り、帰りは必ず二別に下ってきた。

真澄:大峰神社

真澄:おろちの峰々

真澄:神木