=真澄記=
昔この山には三吉という鬼神がいたそうだ。
土地の者は山鬼神(さんきじん)と言って、たいそう恐れていた。
樹神(こだま)、魑魅(やまびこ)や天狗、大人、山人などともうわさされたが、本当に三吉はいるものやら。
仙北郡の外小友村に若い相撲取りがいた。酒三升と米二升を手に入れ太平山に登ってきた。
里宮の宮司に「私はしかじかの者、このたび晴れて相撲取りと認められ江戸へ出ることになった。
この山に住む三吉殿に頼んで力を得たく思う。どの澤に三吉はいるのか。」と尋ねる。
しかし宮司や土地の者は「神仏なればどこに居るとは定めがたい。そこらに供えていきなさい。」と言う程だだった。
この男、さらばとて山に入り、弟子還の宝蔵ケ岳の普通の人では到底上りきれない岩の狭間に供物を置いて帰った。
三四日を経て、人々は、宝蔵ケ岳の道の途中に空き樽が転がっているのを見た。
その男は江戸で立派な関取になったそうだ。
大力士を力で投げる取り口だと伝え聞いた土地の者は、ある種の誇らしさを感じたそうだ。
真澄が描いた弟子還の眺め
弟子還から頂上の眺め
三吉神社奥宮
三吉神社奥宮
真澄が描いたおろちの峰
おろちの峰(頂上からの展望)