若宮八幡宮縁起

=真澄記=       
寺中堀内という二つの村名を合わせて呼ぶ所があり、そこに大きな鳥居がたち、石階が高い宮どころがある。       

ここは、應永(応永)の昔、鎌倉に祭る廣幡のやはたの神をここに遷し、かしこみ若宮とした。       
また、鶴ヶ岡(鎌倉、鶴ヶ岡八幡)の神主の賜りものとして、運慶の作の獅子頭を神室に置いた。       

毎年五月五日、八月十五日には神楽を奉るならわしとなっている。       
特に八月十五日の神事には、この村の柳田興衛門、目長崎の嵯峨利衛門の二家より蒸飯、豊御酒を奉じている。       
柳田氏は町人で豊かでないので、村の人がこれに代わって奉じている。       


=若宮八幡宮由来= 
後光厳天皇御宇 応安二乙酉年(1369)、永井左近将監、大江広元、相州鎌倉より下着し、太平舞鶴城に住まいし、太平七ケ村を治める。 
守護神として、鶴ケ岡八幡宮をこの地に勅請し、若宮八幡宮を創立した。 
その後、慶長七年(1602)、秋田城の助安東代造営する。 
宝永三年(1707)、佐竹藩主の崇敬社として御国十二社を定め、その一社に指定される。 
享保十一丙午年中(1726)、佐竹義峯公再建 
明治六年七月、村社に列せられる。同二十年三月、社殿再築。 
昭和十四年七月、本殿再建。平成四年六月、御大典を祝し、拝殿を新築する。 
例祭、八月十五日

若宮八幡宮の石段

若宮八幡宮

社殿